不登校の我が子を受け入れられるようになるまで【5年間の軌跡】

私は長いこと「子どもが学校に行ってくれさえすれば」という気持ちを持ち続けていた。

そして同時に「乗り越えたい。子どもが不登校になってよかったです!と言える親になりたい」とも思っていた。

私は最近ようやく後者の気持ちをジワジワと感じている。

なにより、心が落ち着いている。

落ち着いてる心、ザワザワしない心、

何かに感謝する気持ちもじんわりと感じられるし、

何かにほっこり優しい気持ちも感じられる。

それが本当にうれしい。

目の前に不安なことが起こった時

人はそのこと自体がイヤなんじゃなくて

その事でざわつく心がイヤなんじゃないだろうか?

落ち着かない

ザワザワする

不安、恐怖、未知

手探り、正解がない、見えない、分からない

自分にしか分からないザワザワ

その時自分の軸が問われる感じ

でも定まってない感じ

それがたまらなくイヤな感じ

、、、少なくとも私はそうだった

もし、お子さんが不登校になったり、

元気がなくなったりした時に

大抵の親御さんは(ドーンと構えていたくても)ザワザワなるのだと、

経験してみて初めて分かった

そして、焦ったりもがいたり。

そして、私はがっつり沼った。

子どもが行き渋り始めたとき、

私は「3年はかかるな」とぼんやり思った。

当時は焦るというより、

「そのうち終わる」

「終わりが来るのが待ち遠しい」

みたいな。

どうやって乗り越えるのかは分からないけど、

そのうち終わるから、

まー待つか、というような。

こんなふうに言うと驚かれるけど、

私はそれまで(たぶん42歳くらいまで)

この世は諸行無常だと思っていた。

常に同じことは何ひとつなく、

変わり続けるのだから、と。

例えば誰かと恋に落ちても、

例えば誰かと別れても、

例えば何かの試験に落ちても、

例えば上手くいかなくて泣いたとしても、

その時どんなに泣いたりもがいたりしても、どっちみち常に変化するものだから、

「3ヶ月後は今と同じではないさ」

「1年後は変わっているさ」くらいに

ゆるくドライに見守っていけば

状況は自然と変わるし、

私がどうこうしなくてもそのうちうまくいくさ、というスタンスで生きてきた。

冷めていた、のかな?

いつからこういう人だったかは分からない。

中学生の時に友だちに恋愛相談されても、

「で?あなたはどうしたい?」としか返す言葉がなかった。

高校生のときに大恋愛と大失恋をしても

私は私の気持ちに正直に生きているということが誇りだった。

大学生のときに後輩が卒業して地元に帰る私を涙で見送ってくれた時も

泣いてくれるほど慕ってくれてたのは嬉しいけれど、会いたい時に会えばいいのよ、ここは日本だし生きてれば会えるしなと思った。

やっぱ、だいぶ前から、冷めていた😅

泣いたり怒ったりすることもあるけど、

楽しい嬉しいワクワクな事も同じくらいあるわけで、

この世は無常、常に移り変わるのだからと。

そう信じていることで動じない感じがして、心地よかったんだろうと思う。

動じない感じはカッコいいと思っていたのだ。

そんな私は、

子育てもそんな感じできたのだ。

仕事は好きだし、仕事は辞めない。

子どもは産まれるし、親も子も育っていく。

仕事、家事、育児、毎日は忙しくめぐってく。でもそれも変化し続けている。

子どもはいつのまにか勝手に巣立っていく。

 

結婚して3人の子宝に恵まれた。

毎日、私のやることはいつも通り、

仕事、家事、子どものこと、家のこと、

自分がやりたいと思ったことにも抵抗なくチャレンジ、

失敗したって気にしない、

だってこの世は無常だから。

やらなきゃいけないわけじゃない、

やりたい事はやってみる、

ダメならダメで、それでいい。

だから、

長男が学校に行きにくくなっても、

最初の1年ぐらいは

それまでと同じ考え方だった。

だけど、

私が思うような速度で事態は動かなかった。

少しずつ少しずつ負のループな気がして、

学び始めた親子コミュニケーションや

お母さん心理学も

うまく活用できなくて

少しずつ少しずつ焦りが加速していった。

それまでは周りの状況がどうであろうと

嫌ならやめてしまえばいいと思っていた。

仕事が嫌なら転職すればいいし、

パートナーが嫌なら別れればいいし、

望む場所じゃないなら去ればいいと。

要するに、逃げればいいというわけだ。

だけど、逃げられない。

子どものことからは逃げられない。

だから、焦ったりもがいたりせざるを得なかった。

何なんだ?この焦りは?

何なんだ?このザワザワ感は?

何なんだ?この気持ちは?

2023年5月、

お母さんの学校の学園祭で「思考の学校」の校長先生の話を聞く機会があった。

そのとき、その先生はこう言った。

「望むと望まざるとに関わらず、目の前に現れる現実は自分が作り出している」と。

目からウロコだった。

「目の前のイヤな人や状況を変えようとする必要はなくて、自分が変われば変わる」

私がこの現状を作り出してるですって???

それまで、私がやってきたことがテーブルをひっくり返されたかのように根底から覆された気がした。

立ち止まらざるを得なかった。

そこから約1年、

目の前のこの子は私の潜在意識の産物、

そう思うと段々見え方が変わってった。

潜在意識とか

現実化とか

引き寄せとか

そんな本も少しずつ読み進めた。

 

今は「子どもが不登校になって」

「自分と向き合わざるを得なくなって」

「本当に良かった」と心から思っている

 

なぜなら

この経験がなければ

子どもに時間や心を注ぐことはなかったろうし、

自分の本音に向き合うこともなかっただろうし、

我流の処世術(この世は無常っていうアレ)の負の側面に気づくことはなかったろうから

向き合って

向き合って

なんか違う、なんか違うって

何度も何度もこんがらがった経験が

不器用な経験が

融通がきかない経験が

 

以前の「なるようになる」とは違った、

アップデートされた「なるようになる」に変わったから

 

この私の経験が役に立つかは分からないけど、

私はこの経験を通して

ものすごく変われた気がするし、

変われて良かったと心から思うので

少なくとも、「悩んだ経験のある私」として、人の話をきくことができると思うから。

この続きはまた。

最後まで読んでくださってありがとう。

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