脳内ヤンキーおかんがお母さん心理学に出会うまで#1

こんにちは。
トヨタマキのスタディルームです(*^^*)!

数回に分けて、「脳内ヤンキーおかん」の、子育て一人劇場を語らせてもらいます。

子どもが壁にぶつかってるのを自分のせいだと思ったり、
それをどう乗り越えるのか、サポートしたいけど分からなくて困ってる、
「なんかうまくいかない」と壁を感じている方に
私の1人劇場を笑ってほしくて。

あ、ちなみに勝手ですが、
これを読んでくださっているあなた自身が幸せであってほしいと思っております。
基本、子育て中の母の味方でございます。

できれば笑顔で、あなた自身が幸せでいてほしい。
そんな願いを込めて、わたしのコトバで、
かっこいいこと言おうと欲張らずに、お話できれば幸いです♡

今回は第1回目。

マキ
マキ

小・中学生の頃。

先輩に目をつけられるのが特技でした(笑)!


ヤンキーというのは、ここでは「万年反抗期」という意味で使います。
しかも、あくまで脳内での話です。

私はホタルが飛ぶような田舎で、祖父母と両親と叔母という大人5人の家に、初孫として産まれました。
両親は二十歳、祖父母は42歳という、それはそれは若々しい家族・・・と思いきや、実際にはとても窮屈でした。
そう、こういう感じね。

祖父がね、それはそれは、頭の固い「性悪説・懐疑的・攻撃的・威圧的」な人でした。

私はよく、「うちのおじいちゃんは昭和でも大正でもない。江戸です!」と言うくらい、祖父は古い固い価値観の九州男児でした。

また、「うちのおじいちゃんは男尊女卑の極みです!」とも言っていました。
「女は三指ついて、黙って男の言うことを聞け」的な。物心ついたときから、常に祖父に戦いを挑んでは泣くということを繰り返していました。

まあ、そのおかげで、強くなれたわけでもあります。
体罰のすごい先生がいても、威圧的な先生がいても、全然気にならなかったから。

きっとね、祖父や父など、家の中にケンカ相手しか居なかったら、もっと嫌な奴になってたかもしれない。
でも、幸いなことに家には大人がたくさんいました。
優しい祖母と誠実な母。そのおかげで犯罪者にならずに大きくなることができました。
いろんな大人の「いいところ」を真似して、「わるいところ」を反面教師として。

おかげさまで、「人は人、私は私。」でキッパリ割り切った感じが心地よく、「自由と平和」だけを大切にして、周りの大人たちから「しっかり者だ」「堂々としている」「大人びている」と言われ続けて、40才くらいまで人に何かを相談するということもなく、
がっつり我が道を突き進んできました。

でも、「四十にして惑わず」ならず、四十にしてさまよい始めました。

続きはまた明日。

最後までお読みいただきありがとうございます(*˘︶˘*).。.:*♡
明日もあなたにいいことってがありますように☆彡

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